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大津地方裁判所 昭和53年(行ウ)1号 判決

大津市南志賀四丁目一五の三九

原告

山田逸夫

右訴訟代理人弁護士

吉原稔

木村靖

大津市中央四丁目六番五五号

被告

大津税務署長

西川静雄

右指定代理人

高須要子

本落孝志

吉田一冨

町田泰雄

坂田行雄

後藤洋次郎

主文

1  被告が原告に対し、昭和五一年三月一二日付でした原告の昭和四八年分の所得税についての更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(ただし、いずれも裁決で一部取消された後のもの)のうち、所得金額三六一万一、三二八円を超える部分並びに同日付でした昭和四九年分の更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち、所得金額一七二万四、九五三円を超える部分をいずれも取消す。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和五一年三月一二日付でした原告の昭和四八年分及び昭和四九年分の所得税の各更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分(ただし、裁決で一部取 されたものは、その後のもの)を取消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の各請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、原告の昭和四八、四九年分の各所得税につき、いずれも法定期限内に別表一の各(一)欄記載のとおりいわゆる白色で確定申告をしたところ、被告は、昭和五一年三月一二日付で同表の各(二)欄記載のとおりの更正処分(以下「本件各更正処分」という。)を行なうとともに、同表過少申告加算税額欄記載のとおりの過少申告加算税賦課決定処分(以下「本件賦課決定処分」といい、右両処分をあわせて「本件各処分」という。)を行ない同日これを原告に通知してきた。原告は、同年四月一〇日本件各処分を不服として被告に対し、異議の申立をしたが、被告は、同年七月六日付でこれを棄却する旨の決定をした。そこで、原告は、さらに、国税不服審判所長に対し、審査請求をしたところ、同所長は、昭和五二年一〇月二八日付で原告の昭和四八年分の総所得金額を同表(三)の該当欄記載の金額と認定したうえ、本件各処分によって原告の納付すべき昭和四八年分に対する所得税額及び過少申告加算税額のうち、同表(三)の各該当欄記載の金額部分を取消し、その余の部分及び昭和四九年分に対する本件更正処分及び賦課決定処分に関する審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は同年一一月一七日原告に送達された。

2  しかしながら、本件各処分は次のとおり違法であって取消しを免れないものである。

(一) 本件各処分は、原告が大津民主商工会(以下単に「民商」という。)に加盟していることに対するいやがらせと原告の同商工会からの脱退をせまることとを目的としてなされたもので、政治的な他事考慮に基づく行政処分として違法である。

(二) 被告は、本件各処分をなすに当ってその通知書に処分の理由を附記するかあるいはそれを開示すべきものであるにもかかわらず、本件各処分の通知書に処分理由を附記しなかったし、またその開示もしなかったものである。

(三) 本件各処分はいずれもいわゆる推計課税によりなされたものであるが、推計課税をなす前提としての質問検査権の行使は、確定申告が過少であるなどの合理的な疑い、すなわち調査の合理的な必要性がなければ行使できず、またその行使に際してはこれを開示すべきものであるのに、被告は、右合理的必要性もなく、またそれを開示することもないまま原告方工場に臨場調査を実施し、さらに原告の事前の承諾なしに原告の取引先へいわゆる反面調査を実施した。このように質問検査権の行使が違法である場合にはこれに基づく課税処分も違法となるものと解すべきである。

(四) 推計課税をなす場合その推計は、合理的な資料を基礎とし合理的な方法で行われるべきであるところ、被告は、原告の営業実態にそぐわない資料によって推計を行ない、本件各処分に及んだものである。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、裁決書謄本の送達日は知らないが、その余は認める。

2  同2の冒頭部分は争う。

(一) 同(一)は否認する。そもそも課税処分の違法性の有無は、右処分において認定された課税標準又は税額が正当とされる数額をこえているか否かによってのみ決せられるべきものであり、同処分が民商への弾圧行動の一貫であるというようないわゆる他事考慮に基づくか否かは本来右処分の違法性とは無関係な事柄である。なお、被告所属署員が原告に民商脱退をそそのかしたこともないし、本件各処分の通知書が民商の集団申告日であった昭和五一年三月一三日の前日に送達されるに至ったのは、後記三の1記載のような事情によるもので何らの他意もなかったものである。

(二) 同(二)のうち、本件各処分の通知書に処分理由を附記しなかったことは認めるが、その余は争う。一般に行政処分において処分理由がなければならないことは当然であるが、その理由を処分通知書に附記したり、開示したりしなければならないという一般原則は存在しない。原告は、従前青色申告をしていたものであるが、本件各係争年分については白色申告をしたもので、これに対する更正処分にはその理由附記ないし開示を要するとの規定は存しないし、またその必要性もない。

(三) 同(三)のうち、本件各処分は推計課税によるものであること、被告所属署員が原告方工場に臨場調査をし、また原告の取引先へ反面調査を実施したこと、その際原告に対し事前の承諾を求めたことがないこと、以上の各事実は認めるが、その余は否認する。質問検査権は適正な申告を担保し、課税の公平適正な運用を図るためその行使が客観的に必要である場合において行使しうるもので、その事前通知並びに調査理由及びその必要性の開示については、これを定めた規定が存せず、質問検査の必要があり、被質問検査者の私的利益との衡量で社会的相当性の範囲内にある限り、行使権者の合理的な選択に委ねられているものである。また、いわゆる反面調査は、社会通念上相当な限度にとどまる限り、調査権者の合理的判断において租税法的事実の認定の必要があると認めた場合には納税者の承諾の有無にかかわらず行い得るもので、事前に納税者の了解を得る必要性はない。本件においては後記三の1の記載の如き事情により調査の客観的必要性があったもので、被告が原告に対して行った所得税調査の手続には何らの違法も存しない。

(四) 同(四)のうち、推計の方法論は認めるが、その余は否認する。

三  抗弁

1  被告は、原告からの本件確定申告に基づき、昭和五〇年九月ころこれの調査に着手し、以後約六か月間にわたって被告所属署員が再三原告方工場に臨場し、あるいは電話で本件確定申告の内容を明らかにする帳簿等の呈示を求めたが、原告は業務繁忙等を理由としてこれに応ぜず、帳簿等の呈示もしなかった。そこで、被告は、原告の取引先等への反面調査を実施し、これによって把握した売上金額に同業者の平均所得率を乗じて原告の各係争年分の所得金額を推計したところ、別表一の各(二)欄記載の金額となり、原告の申告所得額は過少であると認められたので、原告に対し、調査内容を説明して修正申告のしようようをするため昭和五一年三月九日か翌一〇日に来署するよう連絡したが、原告は、来署もせず、また連絡もしてこなかった。そこで、被告は、同年三月一一日本件調査を打切り同月一二日に本件各処分を行なったものである。

2  ところで、原告の各係争年分の総収入金額、必要経費、事業所得金額、譲渡所得金額、総所得金額並びにこれらの資料及び推計方法などは次のとおりであって、本件各処分は、左記の各総所得金額の範囲内でなされたものであるから適法なものである。

(一) 昭和四八年分

(1) 総収入金額(イ+ロ) 二、〇五七万二、六二二円

イ 染色加工による収入金額 一、九七一万八、五一〇円

取引先及びその金額は別表二記載のとおりである。

ロ 呉服の販売に係る収入金額 八五万四、一一二円

原告は昭和四八年以降株式会社矢代仁(以下単に「矢代仁」という。)から染着尺等を仕入れてこれを販売していたものであるが、右金額は、矢代仁からの仕入金額六二万四、一〇〇円に大津税務署管内の呉服販売業者の平均差益率二六・九三パーセント(この計算根拠は別表三記載のとおりである。)を適用して算定したもので、その推計方法は別紙記載のとおりである。

62万4,100÷(1-0.2693)=85万4,112円

(2) 必要経費(イ+ロ) 一、四五四万七、六五四円

イ 減価償却費を除いた必要経費一、三六六万〇、二二一円

原告の昭和四九年分の総収入金額は後記のとおり一、二七〇万一、六七一円であり、同年分の減価償却費を除いた必要経費は八四三万三、七二五円であるから、総収入金額に対する右減価償却費を除いた必要経費の割合は、六六・四〇パーセントとなる。そこで、これを昭和四八年分について適用してその金額を求めると頭初記載の金額となる。

843万3,725円:1,270万1,671=0.6640

2,057万2,622円×0.6640=1,366万0221円

ロ 減価償却費 八八万七、四三三円

右金額は、昭和四九年分減価償却費の内訳(別表八)を基礎に算出したもので、その計算方法は別表四記載のとおりである。

(3) 事業所得金額((1)-(2)) 六〇二万四、九六八円

(4) 譲渡所得金額 △二七万三、一八八円

(5) 総所得金額 五七五万一、七八〇円

(二) 昭和四九年分

(1) 総収入金額(イ+ロ) 一、二七〇万一、六七一円

イ 染色加工に係る収入金額一、一七一万五、七四〇円

取引先及びその金額は別表五記載のとおりである。

ロ 呉服の販売に係る収入金額 九八万五、九三一円

右金額は、矢代仁からの染着尺等の仕入金額六四万円に有限会社よ志(以下単に「よ志」という。)に対する裏地等の代金の支払金額六万八〇〇円を加算した七〇万八〇〇円に大津税務署管内の呉服販売業者の平均差益率二八・九二パーセント(別表六記載のとおり。)を適用して算定したもので、その推計方法は別紙記載のとおりである。

70万800÷(1-0.2892)=98万5,931円

(2) 必要経費 九五四万四、七四一円

イ 売上原価 三六九万四、〇二七円

右金額は、別表七の売上原価二九九万三、二二七円に矢代仁からの染着尺等の仕入金額六四万円とよ志に対する裏地等の代金の支払金額六万八〇〇円を加算した金額である。

ロ 公租公課 一一万一、〇六〇円

原告申立額一一万一、〇〇〇円とイチイ工芸株式会社(以下単に「イチイ工芸」という。)が立て替えた収入印紙六〇円の合計額である。

ハ 荷造運賃 二七万六九一円

梅田石油株式会社に対するガソリン等の代金二六万四、四九一円及び原告申立額四、二〇〇円(三菱小牧に対する二、〇〇〇円及びエッソに対する二、二〇〇円)の合計額である。

ニ 旅費通信費 一二万一、八三七円

電話料金である。

ホ 広告宣伝費 二万四、〇〇〇円

原告申立額である。

ヘ 交際費 四五万一、八〇五円

原告申立額である。

ト 損害保険料 六万七、九四二円

原告申立額六万一、一四〇円と矢代仁が立て替えた六、八〇二円の合計額である。

チ 修繕費 九万二、五八〇円

原告申立額七、八〇〇円(高木屋機械分)並びに日産プリンス滋賀販売株式会社二万三、四二〇円及び坂口テレビサービス株式会社六万一、三六〇円の合計額である。

リ 消耗品費 六万七、四五〇円

ブラシ代等である。

ヌ 福利厚生費 七万八、七八五円

原告申立額である。

ル 水道光熱費 六四万八、三三六円

大津市に対する水道料金三万一、三〇二円、株式会社京プロに対するプロパンガス代三五万九、八〇〇円、関西電力株式会社に対する電力料金九万二、六九九円及び上原成商事株式会社に対するガソリン代等一六万四、五三五円の合計額である。

ヲ 雑費 一一万二、四七〇円

原告申立額八万一、四七〇円並びに株式会社関谷雨溪商店(以下単に「関谷雨溪商店」という。)が立替えた会費二万三、〇〇〇円、有限会社水谷商店(以下単に「水谷商店」という。)が立て替えた会費二、〇〇〇円及びイチイ工芸が立て替えた協賛引六、〇〇〇円の合計額である。

ワ 雇人費 二二九万〇〇九二円

右金額は、原告と事業規模の類似する同業者の一人当りの平均的な年間給与支給額一一四万五、〇四六円に原告の雇人の数二名を乗じて算定した金額である。

なお、右雇人の平均的な年間給与支給額一一四万五、〇四六円は、同業者の雇人のうち従事月数が一二月の雇人の年間給与支給額を用いて、以下のとおり算定した金額である。

(同業者Aの雇人のうち従事月数が12月の者に対する年間給与支給額)÷(同業者Aの雇人のうち従事月数が12月の者の員数)=(同業者Aの一人当りの雇人の平均的な年間給与支給額)

385万5,275円÷3人=128万5,091円……〈1〉

(同業者Bの雇人のうち従事月数が12月の者に対する年間給与支給額)÷(同業者Bの雇人のうち従事月数が12月の者の員数)=(同業者Bの一人当りの雇人の平均的な年間給与支給額)

100万5,000円÷1人=100万5,000円……〈2〉

(〈1〉+〈2〉)÷(同業者の件数)=(同業者の一人当りの雇人の平均的な年間給与支給額)

(128万5,091+100万5,000円)÷2件=114万5,046円

(同業者の一人当りの雇人の平均的な年間給与支給額)×(原告の雇人数)=(原告の雇人費)

114万5,046×2人=229万0092円

カ 減価償却費 一一一万一、〇一六円

別表八記載のとおりである。

ヨ 支払利息 四〇万二、六五〇円

国民金融公庫三一万二、三五三円、京都信用金庫滋賀支店四万九、八七六円及び滋賀銀行本店四万〇四二一円の合計額である。

(3) 事業所得金額((1)-(2)) 三一五万六、九三〇円

(4) 総所得金額 三一五万六、九三〇円

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、被告所属署員が原告方工場にきて、原告に帳簿等の呈示を求めたり、原告の取引先への反面調査をしたこと及び被告が原告に対し推計課税によりその主張の日に本件各処分を行ったことは認める。

2  同2の冒頭部分のうち、本件各処分が適法であるとの主張は争う。被告は、係争各年分の所得について呉服の販売に係る収入金額を追加して主張するが、かかる主張は許されないものと解すべきである。すなわち、更正処分取消訴訟は、更正処分決定の時点における更正処分の当否を事後的に審理するものであるところ、訴訟の段階において、被告が処分の根拠となった本来の所得原因について、その主張を補強するため取引先への照会等によって入手した資料を提出する程度であればともかく、本件においては、処分、異議申立、審査請求のいずれの段階においても所得原因として主張、立証されなかった呉服の販売に係る収入を新たな所得事由による所得として主張をしている。このような主張を許すならば、更正処分取消の訴訟物としての性格制約を逸脱し、根拠不十分な処分を行っておいて、行政訴訟の審理段階で新たに発見した所得事由によって処分を補強し正当化することを許すこととなり、ひいては更正処分の濫発を導く結果となるからである。

(一) 同(一)の(1)のイに対する認否は別表二の認否欄記載のとおりである。同ロのうち、原告が矢代仁から六二万四、一〇〇円相当の染着尺などの呉服を購入したことは認めるが、それは販売のための仕入れではなく、そのうちの白生地は不上りを補填するため自費で買入れたもので原告の欠損に計上すべきである。その余の品物は、原告の従業員や親類から購入を依頼されたもので、原価で売渡したものであるから、いずれも一般に対する適正な利益を得るための販売ではない。推計方法は争う。

同(一)の(2)及び(3)は争う。同(一)の(4)は認める。同(一)の(5)は争う。

(二) 同(二)の(1)のイに対する認否は別表5の認否欄記載のとおりである。同ロのうち、よ志への代金支払は原告が自家用に同会社に仕立てを依頼した仕立代であり、その余は前記(一)の(1)のロに対する認否と同一である。同(2)のイのうち、別表七は認めるが、その余を売上原価とすることは争う。同(2)のロないしヲ、カ及びヨは認める。同(2)のワは否認する。原告の昭和四九年当時の雇人は、常雇が吉田信男、清水宮子、近沢裕子、増田富男、内田(旧姓浅川)美智子、西出壮一郎、藤田保男の七人、臨時雇が中曽根(男子)、平原(女姓)の二人合計九人であった。

同(二)の(3)、(4)は争う。

第三証拠

一  原告

1  甲第一号証の一、二、第二ないし第四号証、第五号証の一ないし一四

2  検甲第一号証の一ないし五

3  証人西出壮一郎、同清水宮子、同山田エイ、原告本人

4  乙第三八、三九号証の成立は不知、第五三ないし第五七号証のうち確認書部分の成立は認めるが、その余の成立は不知、その余の乙号証の成立は不知。

二  被告

1  乙第一ないし第五七号証

2  証人清水利晃、同高田初夫、同後藤洋次郎

3  甲第三、四号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は不知。

4  検甲号各証が原告主張の対象物件を撮影した写真であることは認めるが、撮影年月日の点は不知。

理由

第一  原告が原告の昭和四八、四九年分の所得税につき、いずれも法定期限内に別表一の各(一)欄記載のとおりいわゆる白色で確定申告をしたところ、被告が昭和五一年三月一二日付で本件各処分をし、同日これを原告に通知してきたので、これを不服として同年四月一〇日被告に異議の申立をしたこと、被告が同年七月六日右異議申立を棄却したので、原告は、さらに国税不服審判所長に対し、審査請求したところ、同所長が昭和五二年一〇月二八日付で昭和四八年分の本件更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分によって認定されたところの所得税額及び過少申告加算税額のうち、同表(三)の各該当欄記載の金額部分を取消し、その余の部分及び昭和四九年分の更正処分及び賦課決定処分に対する請求を棄却する旨の裁決をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四〇号証及び弁論の全趣旨によれば、右裁決書謄本が昭和五二年一一月一七日原告に送達されたことが認められる。

第二  そこで、以下本件各処分(裁決で一部取消されたものはその後の金額)の適法性について判断する。

一1  被告所属署員が原告の昭和四八、四九年分の所得税の確定申告について調査するため原告方工場を訪ね、原告に右申告の内容を明らかにする帳簿書類等の呈示を求めたり、原告の取引先に対し、いわゆる反面調査を実施したうえ、被告が右係争各年分の所得税を推計し、本件各処分を行なったことは当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない乙第一ないし第四号証、第六ないし第九号証、第一七号証、証人清水利晃の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、被告は、原告からの本件確定申告に基づき、昭和五〇年九月ころこれの調査に着手したものであるところ、被告所属署員清水利晃がそのころと同年一〇月ころの二回右調査のため原告方工場を訪ね、原告に、係争各年分の確定申告の基礎となった帳簿書類等の呈示を求めるとともに事業概況について質問したが、原告は仕事が忙しいことや確定申告に関することは民商に任かしてあることなどを理由に帳簿書類等を呈示せず、また事業概況特に雇人の数などについて明確な説明をしなかった。そこで被告は、同年九月中旬ころから原告の取引先である矢代仁、イチイ工芸、関谷雨溪商店、川崎商店こと川崎将三らに対し、係争各年における原告との取引の有無並びにその内容及び金額について照会するいわゆる反面調査を実施し、これによっては握した売上金額に同業者の平均所得率を乗じて、係争各年における原告の所得金額を推計した。その結果原告の申告した所得金額は過少となることが判明したので原告に昭和五一年三月九日又は翌一〇日に大津税務署に出頭するよう連絡したが、原告は、来署もしなかったし、連絡もしてこなかったことが認められ、右認定に反する原告本人の供述部分は証人清水利晃の証言に照らし措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  しかして、原告は、本件各処分がいわゆる他事考慮に基づく処分であるとして争うので以下この点について判断する。

原告は他事考慮をうかがわせる事実として昭和四七年一〇月二三日被告所属署員今村某が税務調査のため原告方を訪ねた際、原告に民商から脱退するよう話をしたこと、被告が原告に本件更正処分の前に修正申告をなさしめたことがあること及び本件各処分の通知書が民商の集団申告日である昭和五一年三月一三日の前日の夕方に原告に送付されてきたことをあげ、原告本人尋問の際、同旨の供述をしているところではあるが、被告が本件各処分をなすに至った事情は前記1及び2で判示したとおりであって、仮に原告の主張するように民商からの脱退をすすめた事実があったとしても、右認定にかかる本件各処分に至る経過に照らすと、本件各処分が原告の主張するような目的のためになされたものということはできず、他に右認定に反する証拠はない。

4  次に更正理由の附記ないし理由開示の欠如について判断するに、原告が係争各年分の確定申告を白色申告によってなしたことと被告が本件各処分の通知書に処分理由を附記していないことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、被告ないし被告所属署員が原告に本件各処分の理由を開示しなかったことが認められるところではあるが、白色申告者に対しては更正の理由を附記したりこれを開示したりすることは法律上要求されていないから、本件各処分の通知書に理由を附記しなかったり、理由を開示しなかったことは何ら本件各処分の違法事由とはならないものである。

5  質問検査権の行使が手続的に違法であるとの点について判断するに、被告所属署員の清水利晃が原告方工場に臨場調査し、また原告の取引先に対し反面調査を実施したが、その際原告に事前の承諾を求めたことがないことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によると、清水利晃が原告に調査の具体的な必要性や理由を告知したことはないことが認められるところ、所得税法二三四条に規定するところの質問検査権は、適正かつ公平な租税負担の実現を一般的抽象的に保障しようとするところにその目的と根拠があるのであるからその行使は申告内容について具体的合理的な疑いが存する場合に限られるものではなく、課税の公平適正な運用を図るため客観的な必要性があれば認められるものであり、また同条その他の規定をみても、その行使に際し、理由ないし必要性を被質問者に開示ないし告知することは法律上一律の要件とされていないし、反面調査を実施する際事前に納税者の承諾を得ておかなければならないものでもないと解するのが相当であるから、被告所属署員のなした本件調査には原告の指摘するような瑕疵は存しない。

二  次に原告の昭和四八年分の総所得金額について判断する。

1  収入について

(一) 染色加工による収入について

(1) 原告が昭和四八年に別表二記載の各取引先との間で染色加工の取引があって、矢代仁から四〇九万二、七〇〇円の、志らきから七六二万八、六一〇円の、イチイ工芸から四八万二、四三〇円の、関谷雨溪商店から二五六万五、六〇〇円の、染の青山青美苑から二一八万八、六〇〇円の、青山秀雄から一九八万六、三〇〇円の、水谷商店から一九万四、六〇〇円の、川崎商店から三九万二、六〇〇円の、それぞれ加工賃を受領したことは当事者間に争いがない。

(2) イチイ工芸からの収入のうち、争いのある一万五、〇七〇円は、前頭乙第六号証、成立に争いのない第二三号証に弁論の全趣旨を総合すると、原告が取引金額から協賛引、印紙代を控除すべきものとしたため生じたものであるところ、原告がイチイ工芸に対し取得した加工賃債権総額は四九万七、五〇〇円であり、他方イチイ工芸が原告の支払うべき印紙代一六〇円を立替て支払ったことにより取得した同額の債権と原告に対し取引上取得した協賛引としての一万四、九一〇円の債権を有していたため、原告の有する債権とイチイ工芸の有する債権とを相殺勘定したというものであるから、原告の収入は、前示四九万七、五〇〇円となることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3) 成立に争いのない乙第一一号証によると、原告が染の青山青美苑から得た染色加工賃は、前示争いのない二一八万八、六〇〇円のほかさらに一六万七、〇〇〇円があったことが認められ、右認定に反する証拠はないから、原告の右青美苑からの収入の合計額は二三五万五、六〇〇円となる。

(4) 以上総合すると、原告の昭和四八年における染色加工賃の合計は一、九七一万三、五一〇円となる。

(二) 呉服販売による収入について

(1) 原告は、被告において呉服販売による収入の追加主張をなすこと自体許されないものと争うが、本件のような取消訴訟物は、課税の違法一般であり、所得金額に限っていえば課税庁が課税処分において認定したところの納税者の課税標準が実際のそれを上まわっているのかどうかが審理の対象となるものであるから、課税庁は原処分時とは別個の理由を主張して実際の所得が課税所得金額を上まわることを主張しうるものと解するのが相当である。

(2) 原告が昭和四八年中に矢代仁から六二万四一〇〇円相当の呉服を買入れたことは当事者間に争いがなく、被告は、これを販売のための仕入であると主張しているところ、成立に争いのない乙第五号証、第三七号証、第四五ないし第五〇号証、照会書部分はその方式及び趣旨からして公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべく、その余の部分は成立に争いのない乙第一号証と弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる乙第五八号証に原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、その取引先である関谷雨溪商店から昭和四七、四八年、同五〇年に、同じく志らきからは昭和四九年に、それぞれ不あがり品を買取らされていること、原告は、昭和四九年一〇月には矢代仁から染色加工による収入がなかったものであるのに、同月一四日に矢代仁から二万六〇〇〇円相当の白生地を買入れているし、また染色加工業を廃業した後の昭和五四年にも矢代仁から白生地を買入れていること、原告は、矢代仁から昭和四八年には三回、昭和四九年には六回に亘って白生地を買入れているうえ、昭和四八年から昭和五四年にかけて同じような種類の呉服を買入れていること、原告は一時期染色加工業と呉服販売業とを兼ねていたことがあるところ、昭和四九年には矢代仁に一回、よ志に二回、それぞれ呉服の加工を依頼していること、以上の各事実が認められ、これらの事実を総合すると、原告の昭和四八年における矢代仁からの呉服の買入れは販売のための仕入とも考えられる。

しかしながら、昭和四八年から昭和五四年にかけて原告が矢代仁から買入れた呉服の種類と買入回数及び取引金額をみてみるに、前顕乙第四五ないし第四九号証によると、昭和四八年が一一回で六二万四一〇〇円(この金額は前示のとおり当事者間に争いがない。)相当のウール、八掛、帯、胴裏、染着尺、紬紺、白生地を、昭和四九年が一〇回で六四万円(この金額は当事者間に争いがない。)相当のウール、染着尺、紬紺、白生地を、昭和五〇年が少なくとも一六回以上で二五四万〇九〇〇円相当の御召、染着尺、八掛、胴裏、白生地等を、昭和五一年が一〇回で七〇万四三〇〇円相当の白生地、胴裏、八掛、ウール、染着尺を、昭和五二年が二二回で六〇七万四五〇〇円相当の御召、ウール、帯、染着尺、八掛、白生地を、昭和五三年には御召、白生地、染着尺などの取引があったことがうかがわれるもその内容、金額などを特定しえない、昭和五四年が三八回で七四五万円相当の御召、ウール、裏地、白生地などを、それぞれ買入れたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、以上認定の事実によると、昭和四八年から昭和五四年にかけてほぼ同じような種類の呉服を買入れてはいるが、昭和四八年、四九年の年間取引高が六〇万円代であったものが昭和五〇年には四倍弱の二五四万円余と増加し、昭和五一年にそれが七〇万円と下がったものの、昭和五二、五四年にはそれぞれ六〇〇万円余、七〇〇万円余と著しく増加しているうえ、昭和五〇年以降は取引の対象たる呉服の種類が増加しているものであること、原告は、昭和四八、四九年中における矢代仁との呉服の取引について、本人尋問の際、「白生地は矢代仁から染色加工を依頼されたもののなかから不あがりが出たとき、それを補てんするため原告が自費で買い求めたものであり、その余の反物は、従業員や親類の者などから購入を依頼され、矢代仁から買入れたもので、これらは原価で譲渡しているものである、したがって両者とも販売を目的として買入れたものではない、またよ志に加工を依頼した反物は自家消費用のものである。」旨説明しているところ、その供述の信用性はさておいて、それ自体一般人が通常経験したり、通常人において首肯しうる内容で特段不自然な説明とも感じられないこと、前判示のとおり、原告の白生地買入れと矢代仁の染色加工賃の支払とが対応しない月が一回存在するものの、前顕乙第一、二号証、第四五、四六号証によると、原告は、昭和四八、四九年中に矢代仁から右のほか八回にわたって白生地を買入れているが、このときはいずれも染色加工賃を得ていることが認められ、以上の事実によると、白生地の買入れと染色加工の依頼とが対応しているときの方が圧倒的に多いことが認められること、原告本人尋問の結果によると、昭和四八年は原告の染色業が最も隆盛を極めた時期であったが、同年六月原告が交通事故に遭遇して負傷し、それが治癒しないまま後遺症となって原告の労働能力がそれまでの分からすると半減したうえ、翌四九年は社会全体が不景気となり原告の染色業の業績も不振となったので、廃業ないし転業を考えなければならない状態になったことが認められ、現に原告の昭和四九年分の申告所得額も被告の本件更正処分において認定した原告の所得額も昭和四八年のそれらに比して激減していること、原告が染色業を廃業した時期及び呉服販売業を開始した時期について、山田エイは、その証人尋問の際前者については昭和五一年前半ころと、後者については昭和五一年前半ともあるいはその証言当時(昭和五四年九月三日)呉服販売を業としているとも受け取られる供述をし、原告は、その本人尋問の際、前者については昭和五二年ころと、後者については二年ほど染色業と呉服販売業とを兼ねたことがあったつまり呉服販売業は昭和五一年ころ始めたという趣旨の供述をしていること、さらに、証人エイの証言によると、同女は原告が染色業を続けていたときはそれを手伝っていたが、昭和五二年七月からは看護婦として勤め始めたことが認められ、以上認定の諸事情に原告が昭和四七年及びそれ以前においてどの程度矢代仁から呉服を買っていたのかが不明であり、また、原告と染色加工の取引があった矢代仁などの業者との間で昭和五〇年以降いつまで取引が続いていたのかが不明であるため、原告の染色業廃業時を確定しえないことを併せ考えると、被告の主張するような前示事実をもってしては原告が昭和四八、四九年当時呉服販売を業としていたものと認めることはできず、したがって、原告の前示呉服の購入を販売のための仕入れであるともいえない。以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告が昭和四八年中に呉服の販売によって収入を得ていたということもできず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  必要経費について

後記(三2(三)(2))と同じような理由で、雇人費に関する甲第一号証の一、二の内容は措信できないし、その他原告の昭和四八年における必要経費の総額を認定するに足りる適確な証拠はないので、原告の昭和四九年における収入金額に対する減価償却費を除いた必要経費の割合を参考にして算出することとするに、後記認定のとおり、原告の昭和四九年における収入は一一七一万五七四〇円で減価償却費を除いた必要経費は八八七万九七七一円であるから、その割合は、七五・七九三五一(以下省略)パーセントとなる。そこで、これを昭和四八年分について適用してその金額を求めると、少なくとも一四九四万一五六一円となる。また被告の主張する原告の昭和四八年における減価償却費は、その基礎を後記判示のとおり、当事者間に争いのない原告の昭和四九年における減価償却の内訳と計算方法を採用して算出しているので合理的なものと認められるから、その金額は被告の主張するとおり八八万七四三三円と認められる。したがって、以上合計すると、原告の昭和四八年における必要経費の総額は一五八二万八九九四円ということになる。

3  事業所得について

前記1の収入金額から前項の必要経費額を控除すると、三八八万四五一六円となるところ、これが原告の昭和四八年における事業所得金額ということになる。

4  譲渡所得について

原告の昭和四八年における譲渡所得の損失金額が二七万三一八八円であることは当事者間に争いがない。

5  総所得について

そこで事業所得から譲渡所得を控除すると、三六一万一三二八円となるが、結局これが原告の昭和四八年における総所得金額ということになる。

三  次に原告の昭和四九年分の総所得額について判断する。

1  収入について

(一) 染色加工による収入について

(1) 原告が昭和四九年中に別表五記載の取引先のうち1ないし8及び10の取引先との間で染色加工の取引があって、矢代仁から三三六万五九〇〇円、志らきから三四三万二七四〇円の、イチイ工芸から二〇万〇四〇〇円の、関谷雨溪商店から二四九万二五〇〇円の、丸八から一一二万四八〇〇円の、染の青山青美苑から一四万四三〇〇円の、青山秀雄から四万円の、久保良枝から三〇万一九〇〇円の、それぞれ加工賃を受領したことは当事者間に争いがない。

(2) 矢代仁との取引金額のうち争いのある三〇万円は、弁論の全趣旨によると、原告の、相殺分三〇万円は取引金額から控除されるべきとの主張によるものと認められるところ、前顕乙第二号証、第四六号証、成立に争いのない乙第二六号証に原告本人尋問の結果を総合すると、右相殺分というのは、原告の矢代仁に対する加工賃債権と矢代仁の原告に対する呉服販売による売掛債権とを相殺したものであることが認められ、以上によると、右三〇万円は、原告の収入となるものといわざるを得ない。

(3) 丸八との取引のうち争いとなっている二八万二〇〇〇円は証人後藤洋次郎及び原告本人の各供述によると、原告の丸八に対する染色加工賃債権と丸八の原告に対する不あがりとなった生地を買取らせたことによる債権とを相殺した金額であるところ、右加工賃債権が不あがりとなったものの加工賃を含むものとすると、その一反当りの加工賃と反物代とが異なれば一方的に原告又は丸八に有利な相殺勘定となるから、不あがりとなったものの加工賃は含まないものとみるのが合理的であるから、右二八万二〇〇〇円は原告が現実に仕上げ納入した呉服の加工賃とみるのが相当であり、したがって右相殺分も原告の収入ということになるものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 青山秀雄との取引額については、前示のとおり争いのない四万円のほか、成立に争いのない乙第一四号証によると一万一二〇〇円相当の取引があってそれを受領していることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(5) 成立に争いのない乙第一六号証によると、原告は水谷商店と取引があって二万円の染色加工賃を得ていることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(6) 結局、以上総合すると、原告の昭和四九年における染色加工賃収入の総額は、一一七一万五七四〇円ということになる。

(二) 呉服販売による収入について

原告が昭和四九年中に矢代仁から六四万円相当の呉服を買入れたことは前示のとおり当事者間に争いがないが、前判示(二-(二)(2))の理由からこれをもって販売を目的とした仕入れと認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、原告に呉服販売による収入があったものと認めることはできない。

2  必要経費について

(一) 売上原価

別表七記載の売上原価二九九万三二二七円については当事者間に争いがなく、矢代仁から買入れた前示呉服代金とよ志に対する仕立代が経費となるものでないことは前項で判示したところより明らかであるから、結局売上原価は右二九九万三二二七円となる。

(二) 公租公課一一万一〇六〇円、荷造運賃二七万〇六九一円、旅費通信費一二万一八三七円、広告宣伝費二万四〇〇〇円、交際費四五万一八〇五円、損害保険料六万九七四二円、修繕費九万二五八〇円、消耗品費六万七四五〇円、福利厚生費七万八七八五円、水道光熱費六四万八三三六円、雑費一一万二四七〇円、減価償却費一一一万一〇一六円、支払利息四〇万二六五〇円、以上については当事者間に争いがない。

(三) 雇人費について

(1) 確認書部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については証人後藤洋次郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第五三ないし第五七号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五号証の九、証人清水宮子、同西出壮一郎及び同山田エイの各証言を総合すると、昭和四九年中原告方において従業員として働いていた人は、清水宮子、近沢裕子、西出壮一郎、増田富男、内田道子ほか二名であり、うち清水と増田は年間を通じて、内田は昭和四九年一月から六月ころまでの間、西出は臨時雇ないしいわゆるパートタイマーとして同年一月から五、六月ころまでの間、それぞれ稼働し、近沢は、同年一月から働いているところ、その終期は同年六月以前ではあるがこれを確定できず、氏名不詳の二名は高校生の臨時雇でその働いた期間は確定しえないことが認められる。原告は、藤田保男、吉田信男という従業員もいた旨主張し、本人尋問の際これに沿う供述をしており、その証拠として原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証、第五号証の五を提出し、証人西出及び同清水も昭和四八年には藤田が外回りの従業員として勤務していた旨供述して昭和四九年にも同じように働いていたことをうかがわせており、また清水は昭和四八年に吉田が原告方で働いていた旨供述しているが、前掲各証拠によると、藤田は昭和四七年二月から昭和五〇年四月まで呉服の搬送を担当し、吉田は昭和四九年一月から四月まで染色を担当してそれぞれ働いていたということになるが、これらの書証の内容や証人らの各供述は吉田が働いていた時期については不一致があるうえ、前顕乙第五七号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一〇によって認められる、昭和四八年一月ころから昭和五一年六月ころまで原告方において働いていた内田は、藤田及び吉田という人物は全然知らないことを考えあわせると、これらの者が働いていたという内容の前示供述及び書証は俄かに措信できないといわざるを得ず、結局藤田及び吉田は原告方において働いていなかったものと認めざるを得ず、他に前示認定を覆すに足りる適確な証拠はない。

(2) しかして、前項で認定したところの従業員に対し原告が支払った賃金の総額についてみるに、これに関する証拠としては前顕甲第二号証と原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一、九が存するが、第二号証のうちの支払賃金額部分は、原告の支払賃金額を証明するに重要なものであるのに本件各処分後、異議申立、審理請求がなされたがその間には審理機関に提出されず、本件訴訟になって初めて証拠として提出されたというその提出の経緯と原告本人の供述によって認められるとおり、これを記帳する基となったところの賃金支払明細の控が原告方に保管されているというのにこれらが本件訴訟には証拠として提出されていないことに第一号証自体の体裁と前顕乙第五三号ないし第五七号証を総合すると、右金額部分は到底信用できないといわざるを得ず、また原告本人の供述によると、甲第五号証の一、九は、第二号証の内容に基づいて作成されたというものであるうえ第五号証の一、九に記載されているところの金額もその記載自体からも明らかなように確定した金額として記載されているものではないから、支払賃金額を認定するに足りる適確な証拠とはいえず、結局以上によると、原告の支払った賃金総額は確定できないということになる。

(3) ところで、昭和四九年において年間を通じて原告方で働いた人は二名であること前判示((1))のとおりであり、同項で認定した事実を総合すると、支払賃金総額の点でみるに内田、近沢、西出、二名の臨時雇の賃金を総計してみると一人の人間が年間を通じて働いた賃金総額にほぼ見合うものと評価しうるところ、成立に争いのない乙第四一ないし第四四号証に証人後藤洋次郎の証言を総合すると、被告の主張するような計算方法で原告と事業規模の類似する同業者の一人当りの平均的な年間給与支給額が一一四万五〇四六円と認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、これを基礎に原告方の雇人費を算出すると、三四三万五一三八円ということになる。

(四) 以上総合すると、原告の昭和四九年における必要経費の総額は九九九万〇七八七円ということになる。

3  前記1の収入一一七一万五七四〇円から前項の必要経費合計九九九万〇七八七円を控除すると一七二万四九五三円となるからこれが原告の昭和四九年における事業所得金額であり、同年には他の所得がないのであるから、これが原告の同年における総所得金額ということになる。

第三  以上の次第で、原告の、昭和四八年における総所得金額は、三六一万一三二八円と、昭和四九年におけるそれは一七二万四九五三円と、それぞれ認められるところ、被告は、前者を四四八万九三二六円(ただし、裁決により一部取消された後の金額)と後者を二五六万三六七一円と認定して納付すべき税額及び過少申告加算税額を算定したものであるから、本件各処分は、所得金額を昭和四八年分においては、右三六一万一三二八円として、昭和四九年分においては、右一七二万四九五三円として、それぞれ計算した限度内で適法であるが、右限度を超える部分は違法として取消を免れない。よって訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 大津卓也 裁判官 小松平内)

別表 一

〈省略〉

別表 二

〈省略〉

別表 三

〈省略〉

別表 四

昭和48年分 減価償却費の内訳

〈省略〉

別表 五

〈省略〉

別表 六

〈省略〉

別表 七

〈省略〉

別表 八

昭和49年分 減価償却費の内訳

〈省略〉

別紙

呉服の販売に係る収入金額の推計方法

被告がなした原告の係争各年分の呉服の販売に係る収入金額は、同業者比率を用いて推計したものであるが、右推計方法は、次のとおり合理的なものである。

1 同業者の抽出方法について

被告は、同業者の抽出に当って諸条件を以下の(一)ないし(五)のとおり設定し、できるかぎり数多くの同業者を採用する方法を用いた。

(一) 係争各年分の所得税の確定申告書を大津税務署長に提出している者。

(二) 係争各年分において呉服販売業を営んでいる者で、他の業種を兼業していない者。

(三) 係争各年分の所得税の確定申告書を青色申告書により提出している者。

(四) 係争各年分において事業を開廃業していない者。

(五) 係争各年分の課税処分につき、不服申立て又訴訟を提起していない者。

ところで、被告は、右同業者の抽出を原告の事業所の所在地を所轄する大津税務署の管内より抽出し採用したが、その抽出は、大阪国税局長から被告に対する通達指示により行われ、被告は、大阪国税局長の通達により指示された諸条件を全て満たす同業者一一件を無作為かつ機械的に抽出した。

2 基礎資料の正確性について

被告が原告の係争各年分の呉服の販売に係る収入金額の算定に当り、右抽出方法に基づき採用した一一件の同業者の各収入金額及び売上原価の金額は、右各同業者の提出した昭和四八年分及び昭和四九年分の青色申告決算書に記載された金額で、全て正確なものである。

3 適用の合理性について

原告の呉服の販売形態がいかなるものであったかについては、明らかでないので、被告は、やむを得ず大津税務署管内で呉服販売業を営んでいる者の中から、呉服の小売、卸売あるいは店舗の有無等の販売形態の差異などによる抽出上の制限をせず、幅広く同業者を採用した。したがって、右採用した呉服の販売を業とする同業者の平均的な差益率を被告がは握し得た範囲内の原告の呉服の販売に係る染着尺等の仕入金額及び裏地等の代金の支払金額に適用して、原告の係争各年分の呉服の販売に係る収入金額を推計したことに何ら不合理はない。

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